2017年06月12日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】仕事のコツ 昭和六十一〜平成三年

 昭和六十一年(一九八六)一月、我が家のシンボル的存在だった祖母が亡くなった。それをきっかけに、父に呼び戻されるかたちで、その年の八月、二十一歳でオカダ合金に入社した。今度は「身内」と「世代差」という「狭さ」になかなか慣…

2017年06月12日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】希望ある百年企業を目指して【代表取締役社長 岡田 等】青春時代 昭和四十~六十一年

 「二代目」、その典型的な立場の下、私がオカダ合金に入社したのは二十六年前、昭和六十一年(一九八六)八月のことだった。    私は三人兄弟の末っ子の二男だったが、兄は障害を持つ身のため、「世襲」のレールは子ども…

2017年06月12日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】大競争の時代を、新しい力で生き抜いてほしい 【取締役会長 岡田 欣一】

平成四年(一九九二)四月二十三日、創業三十周年の記念式典を、五十周年記念式典と同じ場所(旧ホリディ・イン金沢)において執(と)り行い、各界各層の方々から温かいご支援や励ましのお言葉を賜り、和やかなパーティーで盛り上がった…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】機械工場を建設し新時代に対応 平成元〜四年

 昭和天皇が崩御されて平成の世に入った。景気は相変わらず順調に推移して、受注も割り合い安定していたが、実装機フレーム加工だけが外注先の能力不足から思うように進展せず、大幅な納期遅れが恒常化していた。    いつ…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】金型工場を新設し合理化 昭和六十年代

 さて、昭和六十年代から急激に台頭してきたのが合理化旋風だった。取引先のほとんどでコストダウンの要望が噴き出した。また併せて、従来までの鋳放し納品がほとんど加工付き条件に変わった。機械加工分野を持たない当社としては、機械…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】「与えてこそ相手からいただける」 昭和六十年

 昭和六十年代に入り、景気はまずまずで受注も安定していたが、二度にわたるオイルショックに懲(こ)りた業界は、省エネと効果的な公害対策を真剣に考える時代に入った。当社も溶解炉の省エネ化や作業効率化のため、試験的ながら電気炉…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】Vプロ・金型フル稼働の売り手市場 昭和五十年代後半

 「ピンチの後にチャンスあり」と言われる如く、長く苦しいオイルショックの荒波を乗り越えた日本経済は、再び高度成長へと向かった。当社では金型鋳造・Vプロ鋳造ともに軌道に乗り出し、これを二枚看板として営業活動を展開した。これ…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】新工場移転 昭和五十年代前半

 昭和五十年(一九七五)六月、新工場へ全面移転し、現工業団地での第一歩を記した。金沢市浅野本町の工場から数えて二度目の引っ越し。従業員は十二名。    時に我々の業界もいよいよ激動期に入り、景気の停滞感からか業…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】公害問題解消へ工場移転を決意 昭和四十年代後半

 第一次オイルショックによる影響もようやく落ち着き出したころ、次第に公害問題が社会問題化した。街なかで鋳造や鍛造を営んでいる者は、ばい煙・残土・悪臭等の対応を迫られ、住民の苦情がマスコミで問題にされた。当然ながら行政も企…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】成長と試練のころ 昭和四十年代後半

 先人の言葉に「山高ければ谷深し」とあるが如く、昭和四十年代は前半の躍進に対して、後半は予想だにしなかった大変な時代だった。    まず、私自身が好況と受注先安定の安(あん)堵(ど)感による気の緩みからか胸部疾…