2017年7月13日

【第二部:躍進編】偉大なる母、一線を退く 平成十年

 時間はさかのぼって、昭和三十七年(一九六二)四月の創業当時より父を支え続けたのが、他ならぬ母・芳江だ。

 

 起業後、頑張り過ぎて肺を患った父は、復帰後は営業活動を主体に取り組んだ。対して、母は、創業当時よりずっと現場で真っ黒になって(なか)()造型や仕上げ作業に没頭していた。私が入社した当時、母の湯口切断作業は社内で一、二を争うほどの腕前で、他の職人たちにとってお手本的な存在だった。 どのような会社や組織でも、忙しい時などは現場と営業の間でギクシャクした空気が現れがちだ。事実、私も当社でそのような空気を何度か感じ取った。そんな時、どのような状況でも現場で黙々と作業をこなし続ける母の姿はだれの目にも止まり、「これが答えである」というメッセージを発信していたかのように思う。

 

 作業着はもちろん、破れた軍手までも何度も縫い合せてとことん使う。決しておしゃべりではなく話しかけられれば短く笑顔で返す。身体障害児の兄の面倒をみながらの母の姿は、私はもちろん誰の目から見ても偉大な存在に映ったのではないかと思う。

 

 「日本の母」らしいその母も、平成十年(一九九八)に退職し家事専念となった。

 

しかし、現在も私や社員を気遣ってくれており、感謝です。

 

オカダ合金ヒストリー

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