【第三部:技術編】金沢城軒先瓦  平成十二年

2017年07月13日

 平成十二年(二〇〇〇)、金沢城五十間長屋、菱櫓(ひしやぐら)などの復元工事にあたり、当社は石川県金属屋根板金協同組合より巴瓦(ともえがわら)制作の協力依頼を受けて金沢城の大きな特徴である鉛瓦を作ることになった。屋根平面には一・八ミリ厚の鉛板を葺けばよいが、軒先には「梅鉢紋(うめばちもん)」の入った巴瓦を置く必要がある。

 

 近世、金沢城の築城当時は、大きな鉛の平板を叩いて絞り出しながら、円筒、模様を作り出していたと推測されるが、現代ではその工法で作れる職人は少なく、工期も大幅にかかるため、プレスで絞り出すことが検討された。昔からある石川門や三十間長屋の巴瓦を観察すると、瓦の円筒底角部に亀裂が入っているものが多く見受けられる。板から叩き出す工法では、当然平板を延ばして成形することになるので、極端に曲がる部分は板の厚さが薄くなり、雪が解けて流れた後にできるつららの重みで亀裂が入ったものと推測された。これはプレスで絞り出す工法でも同じになる。

 

 亀裂を防ぐためと、工期の少ない中で十分な強度を満たすために、一・八ミリの板厚で、直径百五十ミリ、長さ百ミリの茶筒形状の鉛で角部を丈夫に肉付けして金型鋳造で作ることを請けあった。

 

 全く未知の薄板、鉛の金型鋳造であったが、三十年間、金型鋳造を手掛けてきた経験が生きて、無事失敗することなく千五百個を短納期で納入できた。

 

 金沢城は百年後の国宝だと、谷本正憲石川県知事がおっしゃっていますが、当社もそのお手伝いがしっかりできたと思っている。