2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】新技術研究=鋳造シミュレーション  平成十四年〜

 当社がリーマン・ショック不況前から取り組んできた新技術研究がある。それが鋳造シミュレーションだ。    鋳造シミュレーションとは、IT技術を利用してコンピュータ上で仮想的な鋳物を作るソフトウエア技術のこと。一…

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】力強い右腕  平成十一年〜

 もう一つは、何と言っても魚野工場長の頑張りだ。  私と同じ歳の彼は工業高校を卒業後、日本冶(や)金(きん)金沢工場に就職。ラグビーで鍛えた体力と根性でみるみるうちに力量をつけ、若手のホープとして現場の牽引役になっていた…

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】人材発掘  平成二十一年〜

 リーマン・ショック不況の影響は予想以上に大きく、売上高は対前年比で実に四十%減の三億三千万円まで落ち込み、前述の設備投資も加わり、平成二十一年(二〇〇九、第三十五期)の決算は純損失を計上する結果となった。  …

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】親父のすごさ  平成二十〜二十一年

 社長に就任して二年間は、業績もさほど変化なく経過した。しかし、三年目の平成二十年(二〇〇八)、アルミ原材料価格が異常に高騰する一方で受注量も予想以上に伸び、対前年比で三十%近くも売上が伸びた。    しかし、…

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】ふたたび世代交代  平成十七年

 平成十七年(二〇〇五)十二月、ISO14001の認証取得を機に、いよいよ石丸社長から私へと社長のバトンが渡された。    社内の仕事とそこそこの営業経験を積んできた私だが、社長に就任してすぐ重大なことに気が付…

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】新商品開発  平成六〜十三年

当社にとっては厳しい不況期間、いくつか新商品の開発にも取り組んだ。    一つは、平成十四年(二〇〇二)、金沢城復元工事にて軒先鉛瓦(のきさきなまりがわら)の製作に携わらせていただいた際、工事終了後に前田家の家…

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】偉大なる母、一線を退く 平成十年

 時間はさかのぼって、昭和三十七年(一九六二)四月の創業当時より父を支え続けたのが、他ならぬ母・芳江だ。    起業後、頑張り過ぎて肺を患った父は、復帰後は営業活動を主体に取り組んだ。対して、母は、創業当時より…

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】石丸イズム 平成五〜十七年

 技術畑一筋の石丸社長は、不況の時間を有効に活用すべく、モノづくりや鋳物の基礎・応用について、時間をかけて全社員に教育・指導し、技能伝承にご尽力いただきました。    市販の鋳造の教科書ではなく、自身の経験を基…

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】世代交代 平成四〜十七年

しかし、市場経済は目まぐるしく変化するのが常。翌平成四年(一九九二)には、いわゆる平成不況が押し寄せた。これまで社内を牽引(けんいん)していた電子機器関連の仕事量に陰りが現れ、バブル崩壊のダブルパンチも加わって、当社の売…

2017年07月13日 オカダ合金ヒストリー

【第二部:躍進編】第二成長期 昭和五十八〜平成四年

 私が入社したころのオカダ合金は、いわゆる第二成長期にあった。    当時、写真現像機(ラボ)のトップメーカーであるコパル(現日本電産コパル)との取引拡大に成功し、さらに松下電器産業(現パナソニック)とロボット…