2017年7月13日
【述懐】誉れ高き五十周年達成【顧問 寺島 国樹】part3
給与体制の変更
昭和五十年(一九七五)ごろは労働組合の全盛期で、総評、同盟ともに大変な勢いでした。特に総評系の労働闘争が激しく、春闘は連日のストライキが至極当然のように行われていました。労組の強い会社では、毎月約一万円の昇給が相場になっているとも聞きました。
当時弊社の総勢は十人ほど。労使状態は家内工業的で穏やかに見えましたが、中には他社の昇給が気になる人もいて、それなりに内心ブツブツと穏やかでない人もいました。
私は、弊社入社前の約十年間、管理部門に従事していた関係で、雑役でありながら無意識のうちに管理職的感情で勤務していました。労使間のさまざまな問題について現場の意見をまとめて社長と協議し、また社長の話を聞いて現場の人たちと意見交換するなど、何かと気苦労もありましたが、その結果、社長の提案で給与体制を改正しました。
当時の給与体制は、時間給でカウントするため日数の違いで給与は減ったり増えたりしていましたが(他社の状況もほぼ同じ)、月給制に変更することで毎月の給与額が安定化し、従業員も大満足しました。
社長(現会長)は実によく現場の人たちを気遣われていました。たとえば、経費は全額会社負担で新年会、忘年会、慰安会(二年おきに海外旅行の時も)を開催するのはもとより、年に数回(三か月に一回程度)料理、寿司などのオードブルを取り、食堂でにぎやかに従業員間の懇親を図りました。また、誕生日には社長と個別に食事をし、その人に合った記念品をいただくなど本当に良くしていただきました。その反面、すごく厳しい励ましもありましたが、おかげで従業員の愛社精神がとても強くなり、皆一生懸命よく働きました。
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