2017年5月29日

【第一部:開拓編】飴玉屋から始めて 昭和二十一〜三十七年

 学校を卒業し、一年足らずだったが軍隊生活も経験した。国内状況は敗戦の混乱もようやく落ち着き始め、復興の兆しが見えてきた昭和二十一年、心に決めた目標に向かって踏み切った。資本のない者には鋳物屋は到底無理と考え、伯父が言っていた飴菓子製造に目標を定めた。金沢市内の某飴玉製造屋さんに強引に頼み込み、三年間の期限付きで勤めることになった。飴玉屋での三年間は、盆と正月以外ほとんど休日のないかなり厳しい環境だったが、商売と技術を習うために「自分で選んだ道」と自身に言い聞かせて頑張り続けた結果、何とかひと通りの製造法を身に付けることができた。

 

 当初の約束通り三年の年月が経った。同所を円満退社して昭和二十四年六月、勇躍自宅で飴玉屋を開業した。ところが一カ月も経たないある日、突然胸の苦痛と高熱に襲われた。「肋膜炎(ろくまくえん)」で病臥(びょうが)することとなった。

 

 胸を患ったら食べ物の商売はできない。せっかく温めてきた夢も修業した三年間も水泡に帰した。その当時、病床で一人手相を見ながら神を恨んだことは、生涯忘れられない。

 

 一年あまりで病気は治った。その後、身体のことを考え、知人の世話で昭和二十八年三月に加州相互銀行(のちの石川銀行)へ入行、銀行員暮らしが始まった。本店、小松南支店、宇野気支店に勤務した。しかし、元来平凡なサラリーマン生活が性分に合わないことと、子どもたちの将来を考え、再び事業への発起心が頭に出没して昭和三十七年三月に希望退職。同年四月、自宅裏に仮小屋を建てて、アルミ・銅の鋳造を始めた。それが現在の事業の第一歩となった。

 

 今日改めて省みれば、飴玉屋での三年間も銀行勤務の九年間も、いずれも企業経営の上で良い経験と勉強になったと喜んでいる。また、今は亡き伯父夫婦のありがたく貴重な「選定のアドバイス」があったればこそ、今日の「オカダ合金株式会社」があると思う。

オカダ合金ヒストリー

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