2017年5月29日

【第一部:開拓編】機械工場を建設し新時代に対応 平成元〜四年

 昭和天皇が崩御されて平成の世に入った。景気は相変わらず順調に推移して、受注も割り合い安定していたが、実装機フレーム加工だけが外注先の能力不足から思うように進展せず、大幅な納期遅れが恒常化していた。

 

 いつまでも傍観しているわけにもいかず、結局、実装機のフレーム(L二〜三メートルの長さ)に限り社内での対応を検討、発注先である松下電器産業の了解を得て、平成元年(一九八九)一月、機械工場の建設を決定した。団地内の空地七百坪を取得し、ここに電子部品実装機フレームの専門加工工場を建設することとなった。しかし機械加工は未経験。「烏が鵜の真似」であり、何もかもがゼロからのスタートだった。二億円という投資額は当社にとってはかなりの設備投資となったが、これも時代の流れであり、これからも高付加価値の受注を獲得し続け、信頼される企業イメージを維持するためには避けては通れない投資と覚悟して建設に踏み切った。

 

 新機械工場は石丸専務(当時)が総括し、男子従業員三名を専従させ発足した。予想以上に早い立ち上がりを見せ軌道に乗ったが、投資効率において課題が残った。

 

3K改善に「温泉に負けない豪華な風呂」

 

 一方、好景気が続く影響からか人手不足がますます深刻化し、わが社のような「3K」の事業所はいよいよ若者から見向きもされない状況となった。しかし人材の補充がなければ会社運営もままならないため、3Kの改善と福利厚生施設の拡充に着手せざるを得なくなった。
 平成二年(一九九〇)四月、まず事務所・食堂・風呂場・洗面所等を改築。またパソコンによる事務のOA化も同時に導入し、受発注管理、作業指示書の発行・給与計算など、広範囲な事務の合理化を進めた。

 

 ところが、平成三年に入るや、バブル崩壊に伴い景気も急速に減速、我々中小製造業の分野も減量経営を強いられ、一転して厳しい情勢下となった。前述の如く景気変動は過去幾度も直面しながらも、その都度何とか乗り越えてきた。この時もことさら慌てることなく、全社員が真剣にさらなる研鑽(けんさん)に努め、他社を一歩でも半歩でもリードする努力と、自己資本の健全化で乗り切って行こうと決心し対応した──

 

 

 

※本稿は、『創業三十年の歩み そして二十一世紀へ向かって』(平成四年)を抜粋し、加筆・修正しました。

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