2017年6月12日

【第一部:開拓編】大競争の時代を、新しい力で生き抜いてほしい 【取締役会長 岡田 欣一】

平成四年(一九九二)四月二十三日、創業三十周年の記念式典を、五十周年記念式典と同じ場所(旧ホリディ・イン金沢)において執(と)り行い、各界各層の方々から温かいご支援や励ましのお言葉を賜り、和やかなパーティーで盛り上がったことを想い出します。

 

本当に月日の経つのは早いもので、あれからはや二十年の年月が過ぎ、この度は半世紀というめでたい節目を迎えることができました。これも多くの皆様方のご厚情とご支援のおかげです。ここに改めて心より御礼申し上げます。

 

さて、私は八十四歳になりました。正直ここまで長生きするとは思ってもいませんでした。顧みるとアッという間に過ぎ去ったこの二十年でしたが、時代とともに世界は大きく変わりました。機械加工分野はほとんどNC、MC化され、電子・電気関連機械もインターネット環境やスマートフォンの需要拡大などで、その進歩は驚くばかりです。

 

今やモノづくりの競争は大手メーカーだけの問題でなく、その下請部品製作の我々も生産拠点の海外移転やさらなるコストダウンの知恵が必要です。どちらかと言えば数が多い単純製品は海外に任せ、国内は新規の試作品や高品質・高難度な製品の受注が求められています。発注元の親企業も以前と違い、下請発注先の相手と場所は日本国内ならどこでもよい、企業規模の大小も関係ない、依頼した製品が信頼でき、納期を守ってくれるところを選別し、期待しているようです。

 

三十周年を迎えた当時、事業を継続するためには社長と幹部の一日も早い若返りが不可欠でした。そして正直、一番私が悩んだのは世襲のことでした。障害者の長男では難しいため、幼児のころより私の背中を見て育った二男(等・現社長)に頼るしかない。しかし当時まだ二十七歳の若さでは、いくら小さな町工場でもトップは無理。頼るは古く個人経営の時代から苦労をともにしてきた石丸相談役(私の妹婿)しかおらず、何とか等にバトンタッチができるまでの十年間を二代目社長として君臨、継承してもらい、改めて全社員に「社是」の浸透と技術指導を懇願するしかありませんでした。

 

結果、事情を察した石丸君に何とか引き受けてもらいましたが、世の中は日進月歩で驚くほど変わっていく転換期でもありました。二十一世紀の経営はグローバル化が一段と進み、企業はその技術力と信頼性が強く求められる「大競争の時代」に入りました。これからは各企業間でも、その独自性、差別化の発揮が存続のポイントになると言われています。二代目石丸社長の鋳造基礎技術は県内同業者からも認められている存在ですので、その点は当社としてはありがたいことでした。

 

石丸社長は、まず全社員に対して基礎教育から始め、各作業者のレベルアップに大きく貢献していただきました。また、工業系学卒者の採用も行い、三代目次期社長の技術補佐役もネット時代の流れからみて若返りが必要と考え、この分野でも指導をいただくなど、つなぎ役としての責任と手腕を発揮していただきました。

 

自社考案による装置を含む設備投資なども行い生産の効率化や「社是」の理解など、全員の勉強心と生産の独自性などがようやく見えてきたころ、突然、石丸社長から「約束だった社長職のつなぎ期間である十年間も経過した。社内の若返りも進んだので、この辺で少し楽な余生を過ごしたいと思う」と、退任を要請されました。社員の育成、幹部の若返り等、その貢献度は非常に大きく、わが社としても本当に助かった十年でした。役員定年の規定もありましたが、その功績を高く評価し、平成十六年十二月、現社長にバトンタッチされた後も、引き続き非常勤取締役相談役として後進の指導に当たっていただいています。毎日自主的に出社していただき、ありがたい限りです。

 

現社長の時代に入ってからは企業のグローバル化が一段と進み、日本国内でのモノづくりの分野も大きく変わってきました。これまで無かったインターネットでの引き合いも、当然わが社のホームページを見ての問い合わせで、北海道から九州まで引き合いがあります。新規開拓が何より大切なことは言うまでもなく、営業部門の責任は現社長の役目で、そのトップセールスは技術陣のバックアップを信じて展開されており、おかげさまで取引先の獲得においてもかなりの成果を挙げているようです。特に既存の得意先が紹介してくれる先などは、献身的な対応や提案をすることで相手先にも喜ばれて信用されるため、初物でリスクの多い多品種少量品や難度の高い引き合いにも進んで挑戦しています。

 

これも、二代目石丸社長のもとで、一歩先に全社員が世代に合った方向に進んだことと、世襲が成功したからだと思っています。

 

座右の銘  「去華就實」

昭和六十年、塩谷由栄・石川可鍛製鉄前社長(故人)と中国蘇州の寒山寺を訪問した際、前住職で毛筆家としても有名だった性空和尚(故人)に直筆してもらった色紙。当時、寒山寺の建立に尽くされた縁で、塩谷社長と特に親しい間柄だった。

 

注釈

いつまでも浮かれていては駄目になる。

華やかな時は最早過ぎ去ってしまった。

これからは一日も早く自分の正業に戻り、本気になって頑張りなさい。

 

 

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