2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】Vプロ・金型フル稼働の売り手市場 昭和五十年代後半

 「ピンチの後にチャンスあり」と言われる如く、長く苦しいオイルショックの荒波を乗り越えた日本経済は、再び高度成長へと向かった。当社では金型鋳造・Vプロ鋳造ともに軌道に乗り出し、これを二枚看板として営業活動を展開した。これ…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】新工場移転 昭和五十年代前半

 昭和五十年(一九七五)六月、新工場へ全面移転し、現工業団地での第一歩を記した。金沢市浅野本町の工場から数えて二度目の引っ越し。従業員は十二名。    時に我々の業界もいよいよ激動期に入り、景気の停滞感からか業…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】公害問題解消へ工場移転を決意 昭和四十年代後半

 第一次オイルショックによる影響もようやく落ち着き出したころ、次第に公害問題が社会問題化した。街なかで鋳造や鍛造を営んでいる者は、ばい煙・残土・悪臭等の対応を迫られ、住民の苦情がマスコミで問題にされた。当然ながら行政も企…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】成長と試練のころ 昭和四十年代後半

 先人の言葉に「山高ければ谷深し」とあるが如く、昭和四十年代は前半の躍進に対して、後半は予想だにしなかった大変な時代だった。    まず、私自身が好況と受注先安定の安(あん)堵(ど)感による気の緩みからか胸部疾…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】第一次技術改革 昭和四十年代前半

 戦後も二十年の歳月が過ぎてようやく世の中も落ち着き、国内産業も本格的な復興期を迎えた。工作機械はベルトからギヤ直結に、モーターはメタルからベアリングへと、すべてが欧米の先進型に変わってきた。また、一般家庭ではプロレスブ…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】鋳物屋の基盤を構築 昭和三十八、三十九年

 昭和三十八年(一九六三)は未曾有の大雪に見舞われた。いわゆる三八豪雪である。金沢市民の生活が孤立している状況が全国ニュースで放映された。当然工場も二週間余にわたる長期休業に加え、虎の子の軽トラックが雪でペシャンコになる…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】 県外に活路を見いだし技術・取引を先取り 昭和三十八年

 前述の通り、県内ではなかなか相手にされなかったため、県外へチャレンジせざるを得なくなった。工場は職人(今は亡き中島君)と妻に頼み、私は専ら福井、富山はもとより中京、関西方面へも足を延ばし営業を続けた。現在と違って、県外…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】事業の厳しさを実感 昭和三十八年

 創業当時の世相は前述の通りだが、こと商売となれば話は全く違う。何分経験と実績のない者がいくら顔を出して取引を頼んでも、県内の各企業はそれぞれ独自の下請協力会という固い「ガード」があり、なかなか相手にされなかった。仕事不…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】開業当時、人情味豊かな町工場 昭和三十七年

 当時、自宅は金沢市北安江にあった。裏庭をつぶし、そこに十二坪の木造仮小屋を造って開業した。十二坪の中で溶解・型込・仕上作業を行うため大変だったが、反面、小回りの利く連携プレーで、共に汗をかいたり、一服したり、製品のでき…

2017年05月29日 オカダ合金ヒストリー

【第一部:開拓編】飴玉屋から始めて 昭和二十一〜三十七年

 学校を卒業し、一年足らずだったが軍隊生活も経験した。国内状況は敗戦の混乱もようやく落ち着き始め、復興の兆しが見えてきた昭和二十一年、心に決めた目標に向かって踏み切った。資本のない者には鋳物屋は到底無理と考え、伯父が言っ…